育自de育児 ~育児短時間勤務と育児休暇に挑戦する教員の奮闘記~

育児短時間勤務・育児休暇取得教員、仕事・子育て・副業を目指す小学校教師の挑戦

【気づき】「30代は伸び盛り」なんて思ってなかった

 

 

昔、ある先生に言われたことを思います。

「30代が一番楽しいよ。」と。

その先生は40代になっているはずですが、きっと今は、「40代が一番楽しいよ。」と言っていると思います。自分のしたいことを大切にし、自分自身を磨き、アウトプットしている先生でした。

 

その先生は、早起きをしていました。

趣味や好きなことを続けていました。

筋トレが好きでした。

水をたくさん飲んでいました。

服装にこだわってました。

通勤時間を大切にしていました。

あえて電車で来ていました。

ルーティーンがありました。

放課後は、「校区の見回りに行っています」と机にラミネートされた置手紙。

よく走りに行ってました。

 

そういうことだったのかと、今の自分ならわかる気がします。今の自分が一番アップデートされた状態、一番輝いた状態でいられるなんて最高ですね。そうなるように意識し、行動してきたからだと思います。

 

その時の私は25歳くらいだったと思いますが、だんだん衰えていくものだと思っていたし、30代ってだいぶ大人だなとも思っていました。

 

いざ自分が30代になった今、その言葉がぴったりです。

もちろん顔のしわが増えたり、夜更かしができなくなったりしていますけど(笑)

今が一番楽しいです。

最近では、「人生いつでも自分の意志で生きていきたい」と思うので、今までよりももっと飛躍していけそうな気がしています。

 

今日は卒業文集に書いた「私のこれから」を載せます。5年以内にそうなると思います。

もしよろしければご覧ください。

 

 

『私のこれから』

まだ伸び盛りというか、今が一番伸び盛りかもしれないと思っています。何年たっても今が伸び盛りと言っていると思います。大人は、もう成長しないとか、将来の夢がないとか勘違いも甚だしいです。でも、ドロ警の後の疲労感やマットの手本を見せた後の首の痛みには体の衰えを感じます。まだ三〇代。人生はまだ半分も生きていません。平均寿命から考えても、まだ五〇年もあります。ケンタッキーフライドチキンカーネルサンダースは、六五歳まで失敗の連続。しかし、六五歳で世界シェアのフライドチキンを世に生み出したのです。

 

これまでにも、授業中に価値ある「俺の挑戦話」を語ってきました。深夜便で北九州空港へ。まさかの空港閉鎖のため、ベンチで野宿。職務質問を受ける。タイ一人旅、タガメを食べて食あたり。四十二度の発熱で病院搬送。節約沖縄旅行。初めてのヒッチハイク。十一泊で宿泊費はなんと一万円。など、過去の挑戦をいくつか紹介しましたね。でも、まだまだやりたいこともたくさんあります。

 

今は、絵本か紙芝居など作品をつくる挑戦をしています。出版が決まったら、一つでいいので記念に買ってください。お願いします。趣味の走ることや海外旅行もしていきたいですね。さらには、「全日本」と名のつく大会に出ることや世界大会に出場するなど、何かしらの分野で活躍したい気もちもあります。ただの一教師ではなく、もっともっと影響力のある人間を目指しています。そのためには、健康が一番です。お互いに健康は大事にしていきましょう。

 

仕事の面では、もし学校で働くなら、学級担任以外の仕事もしてみたいです。最年少の管理職とか、教育委員会「新しい時代の教育を考える課(仮)」とか。特別支援学校や幼稚園でも働いてみたいです。しかし数年後には、学校の先生ではないかもしれません。みなさんが大学生になるころには、大学の教授になっているかもしれません。一緒にリモート学習しましょう。いや、一緒に大学生になって一緒にキャンパスライフを過ごせるかもしれません。

 

そして何よりも、私の家族を大切にして生きていきたいと思っています。家族が優先できない働き方や家族が幸せでない状況になっているのであれば、それは自分のしたいことではありません。教員の多忙化解消や働き方改革なんて言われています。自分の生活が満足できていないのであれば、学校の子どもたちまで幸せにすることなどできないと思います。自分の葬式で「お父さんは家族と過ごす時間が短かった。」「仕事人間でした。」と言われるのは本意ではありません。

 

どれも本気で動き出したら叶うと思います。小学校教諭は公務員です。安定している仕事なのかもしれません。でも、自分の人生なので自分がしたいことや自分の人生を豊かにするような方向に進んでいきたいと思います。「普通は」とか「これまでは」という考えに縛られず、自分の意志で生きていきたいと思います。